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【雑司が谷駅】猫地帯の法明寺・鬼子母神を訪ねる②

【雑司が谷駅】猫地帯の法明寺・鬼子母神を訪ねる②

前回の法明寺に続き、今回は鬼子母神の方をご紹介します。法明寺から少しだけ離れたところにある鬼子母神も猫ちゃん多し。猫ちゃんを追いかけてカメラを構える方がたくさんいらっしゃいました。
さあ、鬼子母神編にまいりまーーーす♬

春に行きたい鬼子母神

法明寺の飛地境内にある鬼子母神

ケヤキ並木道を通って鬼子母神へ

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神への参道 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)に近い鬼子母神入口
猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神入口

参道を進みどんつきを左へ行くと鬼子母神につきます。ちなみに、どんつきを右へ進むと大鳥神社へ行けます。
法明寺でだいぶフラフラしたこともあり、時間的に結構ギリギリで巻いて参拝しました。

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の仁王像

鬼子母神へ入るとすぐ仁王像が迎えてくれます。
もちろん二体ありますが、一体の写真はなぜかブレてしまっていたので掲載していません。

写真の仁王像は口を閉じているので吽形像ですねー。
仁王像ってどこで見ても怖くて固まってしまうんですよね、おそらく小さい頃のトラウマぽい。見ている人間を恐れさせるのだから、仁王像の存在の意味がよく分かります。いい役目を果たしているじゃん、と言う見方も。

そびえ立つ天然記念物の銀杏・公孫樹

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の銀杏・公孫樹

鬼子母神へ入ると一番に目に入るのが銀杏。
おっきーーーーーー銀杏がそびえ立っているので、一目散に見に行ったくらい。ちなみにイチョウなので銀杏ですけど、雄株なので銀杏は成らないんですって。

この銀杏・公孫樹は室町時代に日宥が植えたと言われていて、ということは樹齢600年以上の代物。ハー、600年前からこの雑司が谷を見ているんですって、それはなんだか浪漫な話です。

あともうひとつ気になるのは"公孫樹"。恥ずかしながら、公孫樹がイチョウということを知らなかったので、鬼子母神の境内にあるイチョウについた名前なのだと思っていました。
でもそれは勘違い。イチョウ(銀杏)の別名で、"孫の代に実がなる樹"だから公孫樹という別名が付いたのだそうですよ。(いちょうと入力して公孫樹と変換が出るー!)
おそらくおそらくおそらくですが、室町時代頃に中国から伝わったらしい。ふうううん!

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の銀杏・公孫樹前の石碑 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の銀杏・公孫樹前の説明板

武芳稲荷堂

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の武芳稲荷堂への鳥居

続いて公孫樹を囲み、鳥居の朱色がド派手に目立つ武芳稲荷堂です。公孫樹を見る前からかなり目に入っていましたが!

石碑にありますが、元々は武芳稲荷神社が先で、武芳稲荷神社の境内に鬼子母神堂が建てられたのだそう。創建されたのがいつかは不明ではあるものの、こちらがメインでしたか。

神様の使いである狐が囲われているのはなぜでしょう?過去、壊されてしまうとかイタズラされてしまうとかがあったんでしょうか。少しかわいそうな気持ち。

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の武芳稲荷堂 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の武芳稲荷堂の狐
猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の武芳稲荷堂の石碑

祀られているのは倉稲魂命(ウケミタマノミコト)の神様で、穀物の神様だそうですね。
そして、やっぱり稲荷神社なので出世稲荷のイメージ。年に3回、開運出世、除厄得幸の祈願が行われているんですね。

金剛不動尊が祀られている法不動堂(のりふどうどう)

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の法不動堂 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の法不動堂横の一字一石妙経塔

稲荷堂の右手に法不動堂があります。金剛不動尊が祀られているのだそうです。

それにしても、"のりふどうどう"初めて聞きました。なぜ"のり"が付くのか調べてみましたけど分からぬまま〜。
色々解説したパンフレットでも作ってくれたらいいな、なんて思ったり。

一字一石妙経塔というのは、仏教の経典の文字を石に書いた写経の一種で、室町時代から江戸時代に流行していたんですって。
写経する石は親指くらいの小さいものから色々あるそうで、つまり法不動堂横の一字一石妙経塔は塔というくらいだし、だいぶ大きいものなのでしょうねー。
または、この一字一石妙経塔の周りに小さい一字一石経があったという意味で塔なのかな。

鬼子母神堂

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神堂1 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神堂堂内

境内の真ん中に構える鬼子母神堂です。

ん、よく見ると。鬼じゃない。鬼の上の点がないことに気づく。
法明寺の鬼子母神は、点がないことで有名だそうです。へえ〜。
その意味としては、ホームページの由来と歴史の一部に記載がありました。

鬼子母神堂の由来と歴史

鬼子母神(きしもじん)のご尊像は室町時代の永禄4年(西暦1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、星の井(清土鬼子母神〈別称、お穴鬼子母神〉境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。
東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。
その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の天正6年(1578年)『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。
平成28年7月には国指定 重要文化財になりました。
鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが、もともとの来歴には深いいわれがあります。
その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。
しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。
当山の鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い 「雑司ケ谷鬼子母神」と尊称しております。

引用:鬼子母神

法明寺の鬼子母神は美しく優しいということですね。

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神堂前の石碑 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神堂前を別の角度から
猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神堂の説明 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神堂の重要文化財指定

国の重要文化財に指定されているくらいなので、管理・維持は大変なものでしょう。
お金のやりくりだって大変だろうなと思って調べて見たところ、文化庁の文化財補助金交付一覧というページを発見。
文化財保存事業費はすごい量があったので、鬼子母神堂前についての記載を見つけることはできませんでした。(鬼子母神堂が重要文化財の指定を受けたのは平成28年2016年だからまだないのかな。)

例で分かりやすかったのが、豊島区のお隣の同じく重要文化財に指定されている護国寺。平成26年度第1回(4月1日付)の記載で、「護国寺 護国寺本堂及び月光殿 建造物防災施設 57,000,000」(単位は円)というもの。
すごい額の補助金ですが、さすがにこれくらいをしないと維持していけないのでしょう。
そして、重要文化財に指定されることで、私財で管理・維持してきたところ国の補助が受けられることになるメリットがあることを知りました。国全体で守ろうというのはステキよね。

参考:文化庁 文化財補助金等

角のない鬼子母神像

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神像 猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神像の裏
猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神堂横の山岡鉄舟の書の石碑

上述した角のない鬼子母神像が、鬼子母神本堂の隣にありました。

隣にあった石碑は、山岡鉄舟の書が彫られているそうです。彫ってあることについては、こちらのサイトで紹介されていました。

近隣の谷中(台東区)に住んだ無刀流と書の達人、山岡鉄舟(鉄太郎)の筆による碑も在る。
「菩薩清涼月遊於華章空【衆生心水浄菩薩影現中】」。
あなたの心が清水のように清んでいれば、自然と仏様が現れますよ。
ひたすら信心(信仰)すれば、仏様の心(境地)に至りますよ。

引用:doranyankoの部屋 雑司が谷「鬼子母神」~「霊園」を巡る

大黒堂で食べられる鬼子母神名物のおせんだんご

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神名物の大黒堂

境内には大黒堂というお店がありました。
参拝に行った日はあいにく開いていませんでしたが、毎週日曜日と縁日(8日、18日、28日)に名物のおせんだんごをいただくことができるそうです。

"おせんだんご"の名前の由来は、鬼子母神に千人の子どもがいたことにあやかっているようです。

いっときは、おせんだんごの販売は終了していたそうですが、羽二重団子本舗澤野修一社長(根岸にあるだんご屋さん:株式会社 羽二重団子)により復活されたそうです。

江戸時代には参拝される方が境内で休むときや鬼子母神へ参拝したお土産として親しまれたということで、時代もののドラマや映画で、休憩にお茶屋によってお団子を食べているシーンがありますけど、かつてまさにそんな感じの場所になっていたことを想像しますね。
お茶屋の看板娘なんて方がいたのでしょうか。

日本最古の駄菓子屋「上川口屋」

猫地帯の法明寺(ほうみょうじ)の鬼子母神の駄菓子屋「上川口屋」

境内には駄菓子屋さんがありました。
かけられているお店の名前のところ、よく見ると"創業一七八一年"の文字。創業から230年以上...日本最古ですって、でしょうね。つまり江戸時代からあるということ。

もうひとつ有名なことがあり、この駄菓子屋さんはジブリ映画の「おもひでぽろぽろ」に出てくる駄菓子屋さんのモデルなんだとか。二度目の驚き。

(食べログのページがあることにも三度目の驚き。)

筆者が訪れた際は、もう時間がギリギリで急いで参拝したので上川口屋さんを覗くことができず〜!時間に余裕を持っていかなきゃダメに決まってるのにね。とっても残念。

法明寺・鬼子母神を訪れて

タイムスリップした数時間

時間に限りがあり、思う存分に散歩ができなかったことに悔いは残りますが、法明寺・鬼子母神をめぐり数時間でもタイムスリップできたことは確かです。
歴史ある場所を訪れると、ワクワクとともになぜか怖い気持ちが出てくるのが筆者の常ですが、この怖い気持ちはお化けだとかそんなバカみたいなことではなく、例えば本当に江戸時代なんていう昔の日本が存在したんだ...という確信を得るからです。
昔の日本は嘘だ!なんて言う疑いは一切ないけど、実際に見たり触れたりしないと実感なんて1ミリもないから、やっぱり本物を見たり触れたりしないと事実として受け止められないんですよね。
そして、事実を得たときに"本当だったんだ...!"と怖い気持ちになってしまうんだな〜。

だから終始ゾクゾクしっぱなしの法明寺・鬼子母神散歩でした。

これから春になるし、あたたかい天気のなか散歩するには十分に楽しめる場所だと思いますよ〜。桜もきれいなんだって、春の一帯も見てみたいね!

shop info.

上川口屋

  • 10:00-17:00定休:なし(天候が著しく悪い日は休み)

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